我が家の小5の娘は、生まれつき骨の病気を患っています。
10万人〜100万人に1人に発症すると言われている希少難病で、2歳の時にとある症状をきっかけに診断されました。根本的な治療法は現時点ではないので、対症療法で症状を和らげて生活しています。
これまで4回手術を経験し、手術以外にも投薬のために何度も入院してきました。運動制限があるため周りの子と同じような運動はできず、車椅子で生活していた期間もあったので、健康な子どもよりも体力がありません。
もう診断から8年も経っていて、すっかり病気を受け入れて病気と共存しているように、周りからは見えるかもしれませんが…
私は今も娘の病気を受け入れることはできていません。きっとこれからも、受け入れられる日は来ないと思います。
ただただ必死で良い病院、良い先生を探して、必死で入院や手術に付き添って、必死で体調が良くなるように祈って…。気付けば8年が経っていただけで、悟りを開いて病気を受け入れるようなフェーズには全く至っていません。今でも、痛みなどの体調不良が現れる度に動揺してしまうし、不安で眠れなくなるし、夜中に泣いてしまうこともあるし。健康に産んであげられなくてごめんねと思ったり、何で娘がと思ったり、考えても仕方がないことをぐるぐる考えたりして、全然、ドーンと構えられる立派な母ではないのです。
だけど、もし娘が産まれる前にタイムスリップできて、「病気を持った娘」と「健康で病気のない他の子ども」とどちらかを選ぶ権利があったとしても、私は迷うことなく「病気を持った娘」を選びます。病気と真正面から向き合うのは辛い。でも、娘が幸せになるためなら何だってする。そんな感覚です。
娘自身は、物心がついた時から病気と共に生きているので、受け入れられるか否かという感覚はないと思います。一度だけ、手術の前に「病気じゃなかったらよかったなぁ…」とつぶやいていたことはありますが、ネガティブな発言は本当にその時だけ。「自分が痛みや不自由さを経験してると、人が痛い時や困っている時にわかってあげられるから無駄じゃない」と、いつも前向きです。私は娘の前向きさにこれまでずっと救われてきました。
自分や家族などの大切な人が重い病気にかかった時、それを受け入れて前を向いて進んでいくことは本当に難しいと思います。多くの人は、受け入れられないけれど、辛いけれど、今自分にできることをして、必死で生きているんじゃないのかな、と思うのです。病気と闘う人やその家族が、少しでも前を向いて心穏やかに生活できることを願ってやみません。
本日も読んでいただきありがとうございました!
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